「今日は二胡をしよう。」
「二胡」と聞いて二胡という物自体を理解できる人が、日本にどれくらいいるのだろうか。「二胡」ってなにって思う人が大半の印象だろう。そもそも、「二胡」と字面をみて「にこ」と自信まんまんに読めた人はどれくらいいたのだろう。こんなの不安を抱いてしまうほど、二胡の認知度はないと思っている。
そんな二胡を、半年ほど前から私は習っている。
なぜ二胡はじめたかというと特段理由はない。実は元々三味線をやろうと思っていたからだ。年始に、YouTubeをたまたま三味線の動画を観ていたら、三味線かけぇー!三味線したーい!という欲望が湧き、近所の三味線できる教室をネットで探した。驚きの無さ。全く教室がない。
やっとの思いで教室をひとつ見つけた。そこは個人経営の教室で教室のホームページがない。しかし世は大SNS時代。SNSで募集しているのでは、ふと思いFacebookとTwitterで起動し、教室名を入力したらヒットした。自分のサーチ力にちょっと引いた。この時久々にFacebookにログインし、友達らの結婚やら出産やらの報告見た。今ワシは三味線やりたいねん!現実見せんといて!と思わぬところ強がってしまい、深く傷ついた。
教室のSNSをスススーツとスマホで読み漁ると教室長らしき方が「〇〇反対!〇〇について憤慨している!」とかなり政治色の強い投稿がいくつもあった。これは、この教室は辞めよう。選挙のとき、やいのやいの言われそうだ。
半ばあきらめつつ教室探すが、ぜーんぜん見つからない。そして何気なく三味線を画像検索をした。スクロールをしていると、二胡が表示された。見た瞬間、やってみたい!とはすぐにはならず、なにこれ?という感想であった。
二胡について、調べた。二本の弦で弾く楽器ということを知った。
もしかしたら弦二本なら簡単なのか、と考えとりあえず教室を探した。あった。
早速、体験入学した。体験入学当日、もちろんだが初めて二胡に触れた。そして弾いた。
全くいい音色ちゃう!!!!!
これが素直な感想だった。ドラえもんに出てくる静香ちゃんのバイオリンはギコギコ!ギーギー!という音がでて、お世辞にも上手くない表現がされている。まさにそれ。むしろ不快にすら思う音色。
先生からすれば、みんなそんなもんだよ。ということ。そうなんだ、私にも才能あるかもしれんな。二胡やろ。
という流れで二胡を始めた。二胡を自宅に持って帰っていい教室というのも決め手でもあった。そして半年経過する。現在も二胡を週一回は習いに行っている。
そしていつかの土曜日、教室に向かう途中、二胡を背負っていた私は、友達に偶然出会った。三年前に最後に会った人だ。
やはり、友達は聞く
「背中のそれ何。ギターにはしては小さいよね」
私の頭のなかはグルグル回転した。東京証券取引所の電光掲示板のように。まずストレートに
「二胡だよ」
と答えたとしよう。絶対次の質問は
「なにそれ」
どこから説明が必要になる。民族楽器と回答したところで、なんでやり始めたの、になる。ゆっくり話すならいいが、今ワシ教室行くねん!急いどんねん!の状況。わかる、わかるよ。私だって、久々に会った友達が民族楽器背負って遭遇したら、めっちゃ好奇心湧くよ。なぜなぜ詰問しちゃうよ。絶対おもしろいもの、その話。
結局、私は話ぶった切ってその場を去りたいと思い放った言葉は
「ライフル銃だよ」
なんでだよ。人によってはワクワクが止まんねぇ回答だよ。
「うそつけ」
そうだよ、どう考えても嘘だよ。
「へへへっ、また今度言うよ」
私は逃げた。だって教室遅れちゃうんだもん。
※後日、その友達と会ってちゃんと二胡って言った。偉い。
二胡は楽しい。最近ジブリの曲に挑戦し始めた。二胡をせっかく持ち帰っているのに、家ではやかましいので全く練習していない、私。壁にもたれかかってる二胡を見て、ふと呟く。
「二胡タッチザウォールだ…」
なんだ、この話。
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